忠次旅日記

「国定忠次は鬼より怖い。にっこり笑って人を斬る」と歌われた幕末の上州(現群馬県)の侠客国定忠次は、悪代官をこらしめ農民を救う英雄として講談、浪曲や大衆演劇で人気を集め、大正時代には澤田正二郎演じる新国劇の舞台や尾上松之助主演による映画化が行われていた。

1926年(大正15年)に日活に入社した伊藤大輔は、同年の時代劇映画『長恨』でコンビを組んだ第二新国劇出身の若手俳優、大河内傳次郎を使って従来の颯爽とした英雄忠次像を廃し、子分に裏切られて破滅していく人間くさい忠次像を映画化しようとした。だが、経営陣は、松之助が演じた従来の忠次像にこだわり許可しなかったので、止む無く伊藤は第1部「甲州殺陣篇」でヒーローとしての忠次を描いた。幸い好評を得たので、その実績をもとに本来のテーマである第2部、第3部を製作した。

集大成

池波正太郎の真田太平記。

彼の「真田もの」の集大成と呼ばれている。

真田家の面々や配下の忍者などの活躍を詳細に描き、戦国時代の史実と創作を巧みに織り交ぜた長大な作品。

池波の死後、資料収集に協力した上田市内の古書店店主(協力に感謝する手紙が店内に展示されている)らが発起人となって、市内に池波正太郎真田太平記館が開館した。掲載誌や直筆原稿などが展示され、小説の登場人物による上田合戦解説の映画などが上映されている。

経済小説

経済小説の第一人者といえば、高杉良が真っ先に浮かぶ。

綿密な取材を元に、内部に居た人間ではないと分かり得ない様な事まで細部に渡って掛かれているのが魅力。

日経の元社長に訴訟を起こされたり、こうしたスタイルにはトラブルもつきものだが、リアリティを求める読者としては非常にためになる。

ノンフィックションでありながら小説としての形態を持っているところに、格別な面白さがある。

 

こころ 夏目漱石

夏目漱石の代表作の一つである、長編「こころ」。

友情と恋愛の狭間に悩みながら、結局友人より恋人を取った事により、「先生」は罪悪感に苛まれる事になる。

先生は叔父に裏切られた事がいわゆるトラウマとなり、それ以後勝ち取った妻に対しても、誰に対しても、信じるという事ができなかったのだろう。

死ぬ前にたった一度だけで良いから他人を信じたい、とは実に哀しい願いだと思う。

 

鼻 芥川龍之介

芥川龍之介の短編、「鼻」。

僧は、長い鼻を気にしているが、自分が気にしていることを人に知られたくはない。

しかし、一人では食事もできないので、食事の間は、弟子に板で鼻を持ち上げておいてもらう。一度、弟子の代わりを務めた中童子が手をふるわせて鼻をかゆの中に落としてしまった事もある。

そんな中、弟子が熱湯で鼻を温めた後に人に踏ませる事によって、鼻が短くなるという話を聞く。

試してみると、本当に短くなった。ところが、短くなった事によって人々に逆に笑われてしまう。

そのうち鼻がむずかゆくなり、朝おきると元通り長くなっていた。
僧は、これで笑われる事がなくなると晴れ晴れとした気分になる。

という話なのだが、要するに、鼻が長いかどうかよりも人に笑われたくないという気持ちが非常に強かった、という事だ。

コンプレックスについての教訓として考えさせられる。

自分が気にしているポイントが何であっても、他人を意識し過ぎているのではないか、という事。

俗世を超越した筈の僧侶だからこそ、人間の弱さを諸にさらしてしまう事態となってしまったのだ。

人には気にしていない様な態度を見せながらも、実は気にしていたんだ、という事実があからさまに分かってしまった為に、嘲笑されてしまう。

鼻が元の様に長く戻った事によって、何も得た訳ではないのに、晴れ晴れとした気分になった僧から、人間の浅はかさを感じ取れる。

城 カフカ

不条理の深淵を描く、カフカ。

自分という存在が、ある日突然に、誤って世界に投げ出された一つの意識に過ぎないとしたら、しかも、その投げ出された世界は確かな現実であるのに、自分の存在は宙吊りの幻覚のようなものでしかないとしたら・・・

それに気づいてしまった時、人は、一体どうやって生きていくべきなのか。

主人公の測量士は、それでも行動を続ける。自分の存在を確かめる為か。

行く手を阻まれても、城にどんなに跳ね返されても、喜々としてというのは言い過ぎにしても果敢に向かっていく。

それが不条理との闘いなのだと思う。

車輪の下 ヘルマン・ヘッセ

主人公の少年ハンスは、父親に言われるがままにひたすら勉強し、「失われた少年時代」を過ごす事となる。

そして神学校に優秀な成績で合格し、そこで束の間の人生の楽しみを得る。
元々自然が好きで、釣りがしたかったハンスは思う存分、釣りを楽しむのだ。
ここだけが唯一、ホッとするというか救われる部分で、あとはひたすら重苦しいハンスの生活が待っている。

神学校で勉強だけに生きてきた自分に疑問を感じてしまう。

更に自分より出来の良い生徒と出会い、一番を目指す事はおろか、勉学に対するヤル気も急激に失せてしまったハンス。退学して故郷に帰る事になる。

挫折知らずで来たエリート少年が、唯一これまでやってきた勉学でも歯が立たない相手が居る事を知った事の衝撃なのか。

故郷に戻ったら戻ったで、挫折感を拭い去る事はできずに、慣れない酒を飲んで川に落ち、溺死してしまう。

本当に悲しい現実なのだが、実はヘッセの自伝的小説の様だ。同じように神学校に挫折し、退学して高校に転校するもすぐにそこも辞め、本屋で見習いをしても3日で辞めてしまう始末。「詩人になれないなら他の何にもなりたくない」と悩み、ノイローゼになったヘッセ。

そこで彼の支えになったのが、母だったという。

ハンスには母が居なかった。ヘッセには居た。
物語の大きなポイントになっている。

この車輪の下を読むと、本当にヘッセのその後の成功が良かったと思える。
どうやって這い上がったのか、その自伝小説も読んでみたいところだ。

 

 

アトランティスのこころ スティーブン・キング

スティーブン・キングの5編の短・中編からなる小説。

登場人物の人生が、複雑に絡み合っていく。

1章は丸々、ボビー・ガーフィールドという少年の物語。
母子家庭のボビー少年は、近所に引っ越してきた不思議な老人と出会う。

ヒロインとしてキャロルが登場するが、このキャロルが後に物語の大きな鍵を握る事になる。

少年の成長物語として読んでいくと、突然グレてしまうという強烈などんでん返しのある第一章目。

2章ではいきなり、全く違う人物の大学生時代の話に移っていく。

ベトナム戦争が絡み、様々な時期を描いた後で、再び故郷へ戻ってくるボビー。
そこで見たのは、美しい幻想だったのかどうか。

長い時間を経て、思い出が実体験として蘇る、そんな綺麗な終わり方をしている。

 

それから 夏目漱石

高等遊民、今でいうニート。

父親の金で暮らし、仕事はせずに読書や考え事で過ごす主人公の代助。

そんな彼が、一度は友人に譲り、友人の妻となった女性と人生を共にする為に、親からは勘当され、ついに仕事を見つけにいくという話。

それまでゆったりと、淡々とした文章で物語が進んできたのが、突然最後の決心したシーンで見る物全てが赤い、という狂気の表現になっている。

このラストがあるからこそ、ここまで長々と引っ張ってきたのか、と感じた。

アンニュイな感じの小説だ。

歯車 芥川龍之介

芥川龍之介の狂気を垣間見る「歯車」。

レインコートを着た男がことあるごとに現れ、主人公を悩ませる。何で、という位に出てくるのだ。

その他にも黄色いタクシーや鼠など、本当に見えているのか幻覚なのか分からない物が暗示的に現れる。

そして歯車が視界の中で周りだす。

芥川龍之介の、救いのない精神錯乱状態が見えてくる様で、本当に重苦しい。